「もっともくわしいブルー・トレイン図鑑」。
正月に帰った実家に残る自室をあせくりまわし(漁り
)、またも出てきた1冊の本。
買ったのは中学2年の頃だったと思います。(40年前!
)
著者は鉄道ジャーナル社の創立者竹島紀元氏。
中身は、昭和のブルトレの魅力がふんだんに盛り込まれています。
なお、当時のことなので、機関車はEF65P形が盛んに出てきます。
A個室や食堂車で食事している写真には、夢と憧れを抱いたものでした。
モノクロのページに載っている、肥前山口駅で長崎行き(左)と佐世保行き(右)に分かれて下る、非電化時代の2本の「さくら」。
同時発車は無かったようなので、コレは合成写真のようです。
因みに正面の丘の上に見える建物は我が母校。田舎の商業高校だけどプールが無かったので、夏の体育の授業はラグビーなんかやってました。

懐かしさのあまりマジマジと読み返していたら、「復活は無いのか!?」とか真剣に考えたり。

タマの出張で東京や大阪に行く際、朝一の飛行機や新幹線より、前の晩の夜行寝台での移動が絶対楽に決まっていると信じてやまない、すぐに疲れる初老の私デス。
)、またも出てきた1冊の本。
買ったのは中学2年の頃だったと思います。(40年前!
)著者は鉄道ジャーナル社の創立者竹島紀元氏。

中身は、昭和のブルトレの魅力がふんだんに盛り込まれています。

なお、当時のことなので、機関車はEF65P形が盛んに出てきます。

A個室や食堂車で食事している写真には、夢と憧れを抱いたものでした。

モノクロのページに載っている、肥前山口駅で長崎行き(左)と佐世保行き(右)に分かれて下る、非電化時代の2本の「さくら」。
同時発車は無かったようなので、コレは合成写真のようです。
因みに正面の丘の上に見える建物は我が母校。田舎の商業高校だけどプールが無かったので、夏の体育の授業はラグビーなんかやってました。


懐かしさのあまりマジマジと読み返していたら、「復活は無いのか!?」とか真剣に考えたり。


タマの出張で東京や大阪に行く際、朝一の飛行機や新幹線より、前の晩の夜行寝台での移動が絶対楽に決まっていると信じてやまない、すぐに疲れる初老の私デス。





この記事へのコメント
中学の修学旅行で、
鹿児島からの帰りに、
広島まで乗ったことがあります。
この一回だけですね。^^
いつもコメントありがとうございます。
その時は眠れましたか~?興奮して眠れなかったりは、よくあることですが。
私は社会人になって何度か乗りましたが、最初の頃はやっぱり興奮してなかなか寝付けませんでした。
そんな私でしたが、慣れた頃に廃止になってしまい、残念がったものでした。